2022年、A24が送り出した異色のスラッシャーホラー『X エックス』は、ジャンル映画でありながら、映画そのものをめぐる“表現の自由”や“身体の政治”に切り込んだ野心作です。
タイ・ウェスト監督のフィルム愛、主演ミア・ゴスの圧巻の変身、そして70年代アメリカへの批評的まなざし。
この記事では、表層のスプラッター演出の奥に潜む構造的な思想と制作の舞台裏を、25の濃密なトリビアとして紐解いていきます。
🎬制作と構想にまつわるトリビア
01|タイ・ウェストは“ジャンル再発明”を目論んでいた
『X』は単なるホラーではなく、スラッシャー映画を批評しながら“もう一度本気で作る”ことを目的に制作されました。監督は「ジャンル映画の本質は、文化と時代を写すレンズだ」と明言しています。
02|A24の自由度が実験的構成を可能にした
A24との契約は、監督の完全な創作自由を保証するものでした。これにより『Pearl』や『MaXXXine』との“非公開三部作構成”も可能となり、他スタジオでは実現困難な製作方式が成立しました。
03|COVID-19による隔離環境が“閉鎖的恐怖”を加速
ロケ地であるニュージーランドでの隔離環境は、撮影チームの“外界からの切断感”を高め、映画自体の孤立的な世界観とも深くリンクしました。
04|“映画を撮る映画”としての構造はメタフィクションの文脈
『X』は“映画内映画”という構造を持ちますが、これは単なる設定ではなく、「誰が視線を持つのか」「記録される身体とは何か」というメタ的問いを投げかける装置です。
05|『Pearl』の撮影は“最終週の合間”に開始されていた
『X』の本撮影終了から3日後、すぐに『Pearl』の撮影が始まったという裏話も。ミア・ゴスは精神的にも肉体的にも極限状態の中で両役を切り替えていました。
🧍キャストと演技にまつわるトリビア
06|ミア・ゴスは脚本開発から深く関与していた
主演だけでなく、続編『Pearl』では共同脚本・製作総指揮にも名を連ねています。彼女はパール役を単なる怪物にせず、人間的苦悩を備えた存在として再構築することを提案しました。
07|特殊メイクのプロセスは“老いへの嫌悪”を体感させる儀式だった
老女パールの特殊メイクを施される過程で、ミア・ゴス自身が「社会の老化観」を演技以前に身体的に体験することとなりました。役作りの一部としてあえて不快感を残したとのことです。
08|キャスト全員に“ポルノと死”の哲学的質問が課された
監督は演技指導の初期段階で「快楽と死の距離」について個別にキャストへ問いかけを行っています。これにより、各キャラクターの“内なる欲望”が台詞以上に演技に反映されました。
09|“絶叫”の演技は身体的にも精神的にも限界に挑んだ
ジェナ・オルテガは“絶叫の瞬間”を本物に近づけるために、カット直前まで無音で待たされ、緊張と恐怖を引き出される演出を受けたと語っています。
10|ワニのシーンは実写とCGの“ミックス構成”
ワニに襲われるシーンは実写のラバーアニマトロニクスとCGを組み合わせており、演者の安全を保ちつつ生々しさを追求したハイブリッドな演出でした。
🎥演出と世界観のトリビア
11|35mmフィルムの粒子感を再現するためのデジタル加工
本作はデジタル撮影でありながら、1970年代フィルムの質感を再現するため、粒子・色温度・コントラストが徹底的に調整されました。特に日中の逆光処理が注目です。
12|“覗く視線”のカメラは観客の加害性を映す
映画内映画のカメラ視点は、同時に観客の視点でもあり、“見ること=支配すること”という問題意識が構造的に仕込まれています。これはルーラ・マルタン的視線論の応用です。
13|パールの視点で撮られたショットの存在
数カットだけ、パールの視点と思われる主観映像が挿入されており、加害者に感情移入させることで観客を混乱させる演出意図が読み取れます。
14|血の色は“技術的赤”であり感情の演出装置
朱色がかった血の色はリアルではなく、“映画的な赤”として意図的に調整されており、恐怖というより“視覚的快楽”を喚起する役割を担っています。
15|夜間シーンは“恐怖と性的解放”の反転を象徴
夜に展開される暴力シーンは、日中の開放感と対比され、快楽から恐怖への変化が一層強調されます。照明設計にもこのテーマが貫かれています。
🎞️映像・音楽・細部に込められた工夫
16|サウンドデザインは“体内音”を模倣
殺害シーンでは心音、血流、脈拍のような“内的な音”がSEに織り込まれています。これは被害者の内面と観客の身体を同期させる演出技術です。
17|スローモーションは“死の快楽”の視覚化
一部の死の場面にスローモーションが使われており、これは瞬間の残酷さと官能性を同時に描くための視覚的選択です。
18|衣装は“聖俗の反転”を意図
清楚な白、純朴なファームスタイルの衣装が登場人物たちの性的な振る舞いと結びつくことで、キリスト教的価値観へのアイロニーが浮き彫りになります。
19|“テレビ牧師”のメッセージが全編にこだまする
劇中で流れる説教師の説法は、実はすべて脚本段階で緻密に書かれた“反語”としての福音書。終盤のどんでん返しにも関係しています。
20|エンドロール後の“無音”は沈黙による支配
音楽を排したエンドロールは、観客に無音の空間を強制し、“見たもの”とどう向き合うかを静かに問う構造になっています。
🔍テーマと解釈に関するトリビア
21|“視線の暴力”というフェミニズム的主題
『X』はポルノの搾取性を単に否定するのではなく、“誰が視るか”という構造を暴くことで視線の倫理を問います。これはローラ・マルヴィの視線理論とも接続可能です。
22|“老い=化け物”ではなく“老い=拒絶された身体”
パールの造形は単なるホラー的な異形ではなく、「性欲を持った老女」という社会的タブーをそのまま表出させた象徴。忌避される身体の悲哀が根底にあります。
23|快楽と死の“同根性”が語られる構造
映画内で繰り返し示されるのは、快楽(セックス)と死(殺害)が極めて似た構造を持つという洞察。観客が快楽と恐怖を同時に感じるよう設計されています。
24|“カメラが記録する”という暴力性
劇中で映像を撮るという行為は、単なる記録ではなく“記録される者の運命を奪う”力として描かれており、カメラ自体が暴力性を持つ装置として捉えられています。
25|“自由の代償”を描くアメリカ批評
マキシーンが求める“スターになる自由”と、パールが持てなかった“自由を欲する痛み”が対比され、アメリカ的自由信仰に潜む暴力性を炙り出しています。
📝まとめ
『X エックス』は、単なるスラッシャーの形式を借りながら、“見ること”“老いること”“快楽を持つ身体”といった深層のテーマを巧みに重ね合わせた現代的ホラーです。
ジャンル愛、批評性、映像美学、俳優の挑戦すべてが高水準で融合しており、ホラー映画の限界を超えた映画体験が味わえます。
これらのトリビアを知ることで、本作の真価をより深く味わえること間違いなし。あなたもぜひ、もう一度“視線”を変えて観直してみてください。